「明石公園の自然を次世代につなぐ会」が、つなぐものは…

坪谷令子(画家、明石市在住)

2月初旬の晴れた日に明石公園に行ってきました。私の目には冬の姿にしか見えなくても、城壁の前の桜の木々は、春に爛漫の花を咲かせる準備をし始めていたことでしょう。

桜の花の淡いピンク…その華やぎを想うと、2年前の4月に目にした光景が思い出され、心が重くなります。あの時に見た桜は満開にも関わらず、石垣を背景にヒッソリと寂しそうに見えました。そして気づいたのは、隣に立っていた木々が居なくなっていたことです。緑の葉を繁らせた木が寄り添っていてこそ、可憐な桜色の花びらは華やぎを増すのです。

しかし、目に映る景色の問題に留まるものではない…それを、その後の経験で実感させられたのでした。

その年の6月のある日、友人と私は「つなぐ会」のメンバーで、昆虫についての造詣が深い奥津晶彦さんに夜の明石公園を案内していただきました。静寂の闇の中、木立に近づいた奥津さんの懐中電灯の光に浮かび上がった虫の姿に、命の尊さと言うと大袈裟かもしれませんが…そのような感慨を覚えたのでした。1本の木が伐採されると空間が生まれ、それによって地面への陽当たり具合も風の向きや強さも変わります。それは虫たちにとっては環境の激変です。虫だけでなく、カエルや鳥、小動物たち、そして生態系全体に影響が及ぶことを今更ながらに学ばせてもらったのでした。 

 陽のあるうちに訪れると、伐り取られた木々の年輪に目が行き、その無残な姿に胸が痛みますが、それ以降、見えていない世界へも想いを馳せるようになりました。

 「朝昼晩の時間によって、やって来る虫がドンドン変わります。お互い譲り合いながら生きているのです」…見習わなくてはならないのは人間たちです。

明石公園は、長い歴史の中で自然の力と人智によって培われ育まれてきた掛け替えのない場です。その中でも、私が特に北のエリアに位置する「子どもの村」に関心を持ったのは、長く子どもと関わりながら表現の仕事をしてきたからでもあります。

ここの遊具を新しくすると聞き、出向きました。木々に囲まれた広場には老朽化した大きな遊具が並んでいました。この広場には何も置かないのが良いな、奥に続いていく木々の間を縫うように遊具が並んでいると良いな…そうすれば、他では見られないほどの素晴らしい「自然と共生した、広い意味での遊び場」になるに違いないと直観しました。

大人の導きによって昆虫や野鳥などを観察することで生き物への想いが深まる…そのような「自然環境を全身で感じ取り学べる場」になれば、どんなに素敵かと思ったのでした。

公園の構成要素の「緑陰・広場・遊具」…それらを全て最高のカタチで備えられるのです。

そんな想いを携えて「公開ヒアリング」で発言したのでした――既成の遊具ではなく、地形を生かして、広場空間を取り囲む「自然素材で作られたシンプルな遊具」を設置していただきたいと提案したのです。なのに…遊具は、その時点で既に発注されていたのでした。

数日前「子どもの村」に行くと、夕暮れの中、大きくてカラフルな遊具が目に飛び込んできました。その遊具を見ながら、私は「幻の子どもたちの姿」を想い描いていました。木々に囲まれた広場を走り回り、広場の奥に棲む生き物たちの気配を感じ、その声に耳を澄ませる子どもたちの姿を。木々の間に分け入って、昆虫たちと遊ぶ子どもたちの姿を。

あの提案の中で語った言葉を思い出していました――子どもは、たった1枚の板・1本のロープで自由に遊びます。恣意的な意匠のない中でこそ、想像の翼を存分に広げながら飽きずに遊ぶのです。

「明石公園は、未来から預かっている」…そうなのです、私たち一人ひとりは「未来に残すべきは何か」を問われ験されている当事者なのです。その答を求めて歩み続けていると、いつか「真にインクルーシブな世界」に辿り着けるでしょうか。

「明石公園を次世代につなぐ会」からの発信は、きっと「次~次~次~世代」へと、これからも長くつながっていくことでしょう。

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