「樹と石垣は、じつは仲良し」の現時点で評価・到達点について

大きな役割を果たした「樹と石垣は、じつは仲良し」の提起

明石公園の樹木過剰伐採の根拠となったのは、県の「石垣から5m以内の樹木は原則伐採」という方針でした。つなぐ会は繰り返し5mの根拠を県にただしましたが、県は「樹木の根は石垣に悪影響を与える」という説明を繰り返しました。

これに対して、つなぐ会は樹と石垣は、じつは仲良し 樹が石垣を守っている!という主張をホームページに掲載して反論しました。これは、樹の根と石垣の関係性に関する見方の、コペルニクス的転換です。

この2年間の探究と議論を経て、私たちは、「樹が石垣を守っている」という主張は真理であるという確信を深めています。

当初は、にわかには信じられない理論だったと思われますが、岩山における樹の根と岩の親和性や、実際に明石公園の石垣を虚心坦懐に観察すれば、樹の根が石を抱きかかえて石垣を守っているように見える事例が圧倒的に多いことなどから、次第に理解されるようになりました。

写真は、樹と石垣は、じつは仲良し」より

この提起は、「石垣が大事か、樹木が大事か」という結論の出ない不毛の二律背反ではなく、「どうすれば石垣も樹木も守ることができるか」という建設的な議論に道を開きました。

現在、明石公園の関係者の間では、「仲良し」という点までの合意はないかもしれませんが、少なくとも、樹の根は石垣に悪影響を与えるという決めつけをせず、ケースバイケースで判断するという合意ができたことで、過剰伐採を止める上で大きな力になりました。

当初の説明には不正確な部分もある

しかし、つなぐ会のホームページの当初の説明には一部不正確な部分があります。それは、城の石垣を強化するために、有機物を土に混ぜて、意図的に樹の根を石垣強化のために利用したという趣旨の説明です。

ホームページの当初の説明には、石垣の背後に有機物をサンドイッチ状に挿入したイラスト(右)と、「石垣の裏には、石や瓦以外にも、枝や藁、根などの有機物を入れます。……植物の根は、土の中の枝や藁が分解したところへ伸びます」という記述があります。

しかし、石垣の基礎より上の部分に、樹の根を誘引する目的で有機物を配置したという証拠はなく、そもそも、石垣は戦のための構造物ですから、戦乱の時代に石垣の上に樹を植えることはあり得ないことです。

ホームページでは、石垣における有機物の利用について根拠を3つ挙げています。

  1. 江戸城築城に関する古文書の記述
    「武蔵野の萱を刈り取って根代に入れ、その上で多数の子どもを遊ばせ、いとも悠長にやった……」(古文書『明良洪範』)
  2. 大阪の狭山池等に見られる飛鳥時代の「敷葉工法(しきはこうほう)」
  3. 長崎の出島における海に張り出した石垣発掘調査

ホームページでも正確に指摘しているとおり、1,2は、「石垣全体の土台を固める『床固め』」であり、樹の根の誘因の意図はないと考えられます。3については、展示物が撤去されており確かめることができません。

「有機物を土に混ぜて、意図的に樹の根を城の石垣強化のために利用した」という趣旨の説明については訂正します。現時点では、戦が終わって史跡が公園になる中で、植樹されたり自然に生えたりした石垣上の樹が、結果的に石垣を守ってきたのだと考えています。

ただし、日本の伝統的な土木造作で作られた土塁等については、「根締め」として植物の根を構造物の強化に利用した可能性はあります。

伐採した樹の根が石垣を脆弱にする可能性に警鐘

県は、石垣周辺の伐採を免れた樹木については、石垣との関係を注意深く観察する方針です。実際、樹の根が石垣を動かしているように見える事例については、石垣の動きを計測する装置を設置して、丁寧に観察をしている点は高く評価できます。

問題は、伐採してしまった石垣上部の樹の根です。会のホームページでは、

石垣を守ってくれていた樹木を伐採してしまった明石公園は大丈夫でしょうか?
明石公園の石垣木の根が腐って石垣をつなぎ止める力がなくなった将来、大雨や地震などの自然災害に耐えられるのでしょうか?

つなぐ会ホームページ

と警鐘を鳴らしました。

これに関わって、震災時に崩落した明石城の石垣の修復工事にも携わった文化財の専門家が、第11回検討委員会で次のように発言しています。

石垣に生えている木が石を守るということも一時期はあると思うが、最終的に木が枯死して根を張っていたところが空洞化すると、そこに水道ができて崩壊に至るので、未然に防ぐためにどうするかという検討が必要。

第11回検討委員会明石部会議事要旨

この発言は、次の2つの点において、注目に値します。

  1. 「一時期」という限定はあるが、「石垣に生えている木が石を守る」可能性を認めた。
  2. 「木が枯死して根を張っていたところが空洞化すると、そこに水道ができて崩壊に至る」強い可能性に警鐘を鳴らした。

2については、「最終的に木が枯死して根を張っていたところが空洞化する」という将来の場合に限定している点が不可解です。問題なのは、大量に伐採した石垣上の樹木の根が、まさに今、枯死していることです。これは、樹木の過剰伐採がもたらした、現在直面している危険です。

明石公園の石垣を注意深く見守りつつ、探究を深めることが大切

世界に目を向けると、樹の根と遺跡との関係については、タ・プローム遺跡という驚くべき例があります。12世紀に作られた遺跡が、巨大な樹木の根に守られるように1000年近く存続しています。巨大な根に遺跡を守ろうという意思があるかのように感じさせるその偉容には、畏怖の念を感じます

写真はWikipediaより転載(このファイルはクリエイティブ・コモンズライセンスのもとに利用を許諾されています)

日本でも、石垣や土塁のような構造物が、樹の根を含む周囲の自然環境に溶け込んで、数百年にわたって存続している例はたくさんあります。

しかし、土中環境がどのようになっていて、どのようなメカニズムが樹の根と構造物の間に働いているのか、近代土木の立場ではほとんど解明できていません。現時点では、「樹が石垣を守っている」というつなぐ会の主張には状況証拠しかありません

日本の伝統的土木造作の立場からは、特定非営利活動法人・地球守がさまざまな啓発や実践を行っており、代表の高田宏臣氏が『土中環境 忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』という本を発刊されています。

明石公園においては、今後長期にわたって、次のような点に関して実証的な観察と検証が大切です。これは、明石公園の樹木と石垣を守るだけでなく、全国の史跡の保全に関わる貴重な知見になり得ると思います。

  • 石垣上に残っている樹木の根は、石垣を守っているのか、それとも悪影響を与えているのか?
  • もし、両方のケースがあるのであれば、その違いはどこから生じるのか?
  • 伐採された石垣上の樹の根が枯死することで、石垣にどのような影響がでるのか?

土中環境に関する科学的な探究についても、是非、専門家に進めて頂きたいと願います。

自然との調和を目指す日本の伝統的な知恵の再評価を

「樹が石垣を守っている」という日本の伝統的なものの見方が近代土木で研究されていないのは、明治になって近代土木が日本に導入された際、それまでの日本の伝統的な土木造作が近代土木に継承されなかったことが原因と考えられます。この点に関して、文化財である全国の石垣の保全を管轄している文化庁の調査官・北河大次郎氏の次の指摘は傾聴に値します。

このように近世以前と近代の連続性を確認できる一方で、その断絶も確かに存在する。その多くは、西洋工学の導入に起因するものである。

近代工学には、旧来超越的な存在であった自然を、科学の力でコントロールするというベーコン的な観念が内包されている。当初輸入学問として工学を学んだ日本の技術者も、新たに獲得した数理的な知識に基づき、地震や洪水が頻発する日本の自然をコントロールしようと努めてきた。複雑な存在を即物的に理解して単純化し、解を導き出す工学的アプローチは、今や社会的課題の解決にも用いられている。

一方、土、木、石といった伝統素材を用い、簡易な数理的分析しかできなかった近世以前の日本において、科学や技術の力は限られていた。だからこそ、自然の恵みと脅威のはざまで生きてきた日本人の伝統的な自然観や、政治、経済、生活などさまざまな論理が交錯する社会の理と情に対する理解など、技術力に過度に依存せず、経験の中で培われた知恵と知識を総動員した、より包括的な解決が目指されたのだろう。近代的な見方からすれば、それは不完全な解決だったかもしれない。しかし、内山節の表現を借りれば、そこには「矛盾と共存しうる人間の構想力」(『技術にも自治がある』より)があった。

われわれは、近代土木のリーダーたちが切り開いた道を、今も無意識のうちに歩き続けている。しかし、時には世界の歴史や近世以前の日本にも目を配りながら、その道ができた経緯を振り返ってみたい。そうすれば、目の前の風景もきっと違って見えてくることだろう

強調は、このホームページに執筆者による)

総論:近代土木の技術者群像(https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/detail/kikan_60_kitagawa_4.html

樹の根が石垣を守っているというものの見方は、まさに、「より包括的な解決」であり、「矛盾と共存しうる人間の構想力」であると考えます。

「旧来超越的な存在であった自然を、科学の力でコントロールするというベーコン的な観念」は、地球環境を破壊し、今や人類の存続すら脅かしつつあります。現代に生きる私たちは、「自然の恵みと脅威のはざまで生きてきた日本人の伝統的な自然観」に学び直す必要があるのではないでしょうか。

思い込みを捨てて、虚心坦懐に明石公園の樹木と石垣の関係や、岩山における樹と岩の関係性などを観察してみてください。目の前の風景もきっと違って見えてくるのではないでしょうか。

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