樹と石垣は、じつは仲良し 樹が石垣を守っている!

政策・提言

注意!この記事には、一部不正確な部分があります!
この記事には、一部不正確な部分があります。その部分については、直接修正することはせず、注意書きを追記する対応をとります。
なお、この見解に対する最新の評価・到達点については、「『樹と石垣は、じつは仲良し』の現時点で評価・到達点について(2024年3月31日)」をご覧下さい。

「木の根が石垣に悪影響」はコンクリートで固めた「石垣」

「樹木の根が石垣に悪影響」というのは、石をコンクリートで固定した「石垣」の場合です。コンクリートで固めてしまうと、空気や水が石垣の内部で循環せず、木の根は空気や水を求めて石垣を押してしまいます。

街路樹の根が、よく歩道のアスファルトを持ち上げています。これは、周りをアスファルトで固められてしまった街路樹が、空気や水を求めてアスファルトを押しているのです。

周りをアスファルトで固められた木の「根上がり」の事例。明石公園で撮影。

コンクリートやアスファルトで強度を確保する現代土木では、構造物の寿命は50年~100年。明石城の石垣のように400年間も維持することはできません。一方、日本には、神社仏閣など、1000年以上もの風雪に耐えて、堂々としている建築物・構造物がたくさんあります。

その素晴らしい日本の伝統的技術・工法とはどのようなものでしょうか?

日本の伝統的築城技術

特別史跡江戸城跡に指定されている皇居には、お濠を囲い込む美しい石垣に目を奪われます。

東京・千代田区の皇居、元江戸城のお堀と石垣。樹木が伐採される前の明石公園を思い出します。地球守より転載

この江戸城の工法については、次のような記録が古文書に残っています。

武蔵野の萱を刈り取って根代に入れ、その上で多数の子どもを遊ばせ、いとも悠長にやった……(古文書『明良洪範』)

『石垣 (ものと人間の文化史 15)』田淵 実夫 (著)

これは、石垣全体の土台を固める「床固め」の描写です。石垣の土台に大量の有機物を入れたことが分かります。

その土台の上にどのような造作を行ったのかは、古文書には記されていません。しかし、大阪の狭山池等に見られる飛鳥時代の「敷葉工法(しきはこうほう)」や長崎の出島における海に張り出した石垣発掘調査などから、日本では伝統的に有機物を有効に使って、石垣背面の土中環境をつくってきたことが分かっています。その智恵は一部の職人に、今でも伝承されています。

現代土木のように、力ずくで強度を確保するのではなく、自然に対する深い理解に基づき、水と空気の循環を考えて、環境全体のなかで、構造物が数百年にわたって安定するように考えられていたのです。

樹木の根が石垣を強化している!!

注意
有機物を土に混ぜて、意図的に樹の根を石垣強化のために利用したという趣旨の説明については、訂正します。
石垣の基礎より上の部分に、樹の根を誘引する目的で有機物を配置したという証拠はなく(上記の江戸城の工法、大阪狭山池の敷葉工法は、構造物の基礎固めです)、そもそも、石垣は戦のための構造物ですから、戦乱の時代に石垣の上に樹を植えることはあり得ないことです。
現時点では、戦が終わって史跡が公園になる中で、植樹されたり自然に生えたりした石垣上の樹が、結果的に石垣を守ってきたのだと考えています。
詳細は、「『樹と石垣は、じつは仲良し』の現時点で評価・到達点について」をご覧下さい。

石垣の上部には、深い根を張る植物(タブノキなど)等を植え、石垣の裏には、石や瓦以外にも、枝や藁、根などの有機物を入れます。(イラスト左)

植物の根は、土の中の枝や藁が分解したところへ伸びます。根は、空気も水もある石に張り付きます。石は、ゆっくりとミネラルを供給するので、樹と石はとっても仲良しなのです!長い年月の間に、樹の根と石垣は一体化し、強固になります。(イラスト右)

この伝統的な造作で作られた石垣では、放置していても、木の根が石を押すことはありません。水と空気が循環しているからです。

植物根の石垣への貫入は、現代土木では、石垣に悪影響を与えると見られていますが、古来の土木造作では「根締め」と称して、石垣や土手の安定に生かしてきました。木の根が石垣の石と一体化して、自然の力で石垣の強度を確保するのです。

かつての石垣は、土地を圧迫せずに通気性透水性を損なわない積み方をし、背面の土中環境を健康に保つことによって、草木根の根やたくさんの土中生物と一体になって、永続します。

自然と一体になって残るかつての土木造作には、そもそも耐久年数などという考え方は当てはまりません。周辺環境の大きな変化や崩壊がなければ半永久的に保たれたのです。この石垣のように自然と一体化した人の営みの名残は、年月とともにその土地の象徴的な風景として美しさを増していきます。

地球守「崩れない石積みとは? 風土を育む土木技術石積み・石垣編第2回」
長崎市内出津集落で見られる石垣。地球守より転載。

全国の様々な史跡や石垣の実績

旧江戸城・皇居の石垣をはじめ、全国の石垣で、先人の智恵の正しさが実績として示されています。明石公園の石垣も、築城400年にわたってしっかりと存続してきました。

熊本地震で崩れなかった石垣には、樹がありました。

今、力ずくで強度を確保しようという現代土木による「補修」、樹木の伐採、周辺をコンクリートやアスファルトで固めるなどの環境破壊によって、絶妙のバランスで成り立っていたこれら全国の史跡・伝統的構造物が、危機にあります。

明石公園では、石垣周辺の樹が石垣を痛めているとして、石垣周辺の樹木が1000本以上伐採されました。しかし、会が調査したところ、樹木が石垣を痛めている事例を見つけることはできませんでした。逆に、樹木が石垣と一体化して、石垣を強化していた事例は多く存在しています。

一般に、樹木の細根には、網のように土壌層をつなぎ止め、基岩層の亀裂にまで入り込み、すべり面(土壌層と基岩層の境)を固定する機能があります。これが、地盤の浸食や崩壊を防ぐ役割を果たしています。山で、木の根が石を押して崖崩れが起きた事例は聞いたことがありません。逆に、山で、樹木を伐採したことが、大雨時に土石流や崖崩れなどの災害につながる事例が全国で発生しています。

石垣を守ってくれていた樹木を伐採してしまった明石公園は大丈夫でしょうか?
明石公園の石垣木の根が腐って石垣をつなぎ止める力がなくなった将来、大雨や地震などの自然災害に耐えられるのでしょうか?

自然の循環を取り戻そう!

樹木と海はつながっている!

明石公園の樹木は、地下で海とつながっています。本来、自然は、上のイラストのように、水や空気が循環することで成り立っています。樹木を伐採し、コンクリートで固めるような今のやり方は、この循環を断ち切ります。

しかし、時間はかかるかもしれませんが、失われた自然を取り戻すことは可能です。

これ以上の樹木伐採をやめ、明石公園の自然と生態系を回復する努力を重ねることによってこそ、明石城跡の貴重な史跡を、今後数百年存続させることが可能になります。
史跡と樹木・自然を一体として守ることが、持続可能で住みやすい社会をつくることにつながります。

関連情報

Q&A

注意!
このQ&Aについても、不正確な内容を含んでいます。詳細は、「『樹と石垣は、じつは仲良し』の現時点で評価・到達点について」をご覧下さい。

Q
お城は築城当時ははげ山で、植栽はされていなかったと思われます。明石城も、江戸時代はクロマツぐらいしかなかったという指摘があります。
石垣を作った当時の人たちに、木の根を利用して石垣を強化するという意図・意識があったと言えるのでしょうか。
A

築城当時は、本文で説明したような造作がごく当たり前に、どこでも行われていました。お城の石垣も例外ではありません。ただ、神社仏閣などと違って、お城が攻められる危険性のある時期は、樹木は邪魔になるので、植栽されなかったと思われます。
石垣の作った当時の人の意識は確かめようがありませんが、おそらく、石垣を人工物ではなく、自然物として永遠に存続させる智恵があったと考えられます。樹も、その一環ではないでしょうか。

Q
ネット上では、「樹の根が石垣に悪影響を及ぼす」とする調査結果や研究が多く発表されています。このページの「樹が石垣を守っている」という見解は広く受け入れられているのでしょうか?
A

日本の伝統的造作は、一部の職人には受け継がれていますが、残念ながら広く研究されているとはいえません。ネット上の論文や調査ほとんどが、現代土木の視点によるもので、日本の伝統的造作に対する理解が乏しく、現象の意味を誤って解釈していると見受けられます。
日本の史跡は、数百年以上前に、当時では当たり前だった日本独特の造作によって造られました。現代に至るまで史跡が存続していることから、その正しさは実証されています。日本の史跡をさらに今後数百年にわたって存続させるためには、こうした日本の伝統的造作の研究が不可欠です。
特定非営利活動法人・地球守は、こうした日本の伝統的造作を研究・啓発しています。本ホームページで提供している日本の伝統的造作に関する知見は、地球守との連携の中で得たものです。

コメント

  1. いわちゃん より:

    最初にこのページにまとめられているお話を集会聞いたときは、真実だったらいいなぁと思いつつ、半信半疑でした。ネット上で調べると、「木の根が石垣に悪影響を与える」という主張がほとんどでした。

    しかし、「つなぐ会」や「地球守」のホームページから学び、自分なりにも考察する中で、今では、「樹が石垣を守っている」というのが真実だと確信しています。

    多分、半信半疑という人が多いと思います。そういう人は、一つ考えて欲しいことがあります。

    現代土木では、どんなに頑丈につくっても、構造物の耐用年数は、50年~100年です。

    その一方、全国には、数百年にわたって泰然と存続し続ける石垣などの伝統的な構造物がたくさんあります。これは歴然とした事実です。

    なぜ、数百年も存続し続けるのだろう?という当たり前の疑問に誠実に向き合うことが、出発点だと思います。

    現代土木の視点から、「樹の根が石垣に悪影響を与える」とする様々な研究が存在します。しかし、それらの研究は、私が見た限り、なぜ、数百年に渡って今日まで、その構造物が泰然と存続し続けたのかという疑問には、答えていません。

    数十年の耐用年数の構造物しか作れない現代土木の視点で、数百年にわたって泰然としている日本の伝統的な構造物について、語ることはできないと思います。

    私たちは、謙虚に、先人の智恵に学ぶ必要があるのではないでしょうか?

  2. 山田 利行 より:

    私は山(せいぜい低山の六甲山)によく行きます。山にはお城の石垣ほどでないにしても、石積みの階段道、法面保護、岩場、護岸壁などがあり、森林整備のご苦労を忍ぶことしばしばです。現代土木工法の場面もよくありますが、苔むして古い工法箇所も多くあります。放置状態ながら、自然の力で修復されているところもこれまた多くあります。これまでは、それらの「表面」しか見てきませんでした。でも、石積みのウラ、土の中で木と石が謂わばスクラムを組んでいると思えるようになりました。そういう見方で山道を歩くようになりました。このページのおかげで、見える/見えない景色が展開されるようになりました。

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