樹木伐採を中止し、速やかに計画再検討に至ったのは、なぜか?

- 運動の成果をもたらせたのは? -

(1)集中的、多様な伐採中止を求める市民の行動

自然豊かな明石公園が「切り株だらけの公園」に変貌したのに驚いた市民がたまりかねて、2021年11月ついに行動を起こしました。当時の動きについて明石公園つなぐ会の立ち上げに動いた丸谷聡子初代事務局長(現在は明石市長)は、月間雑誌「むすぶ」の2022年8月号に詳しく記しています。要約すると次のような経緯でした。

2020年度までは石垣保護や景観向上のための伐採は、残念な想いを持ちながらも、やむを得ないものと声を挙げる動きはなかった。しかし伐採本数が急増し、石垣保護や景観向上とは関係のない伐採が見られるようになり、どうしたものかと思っていた矢先に、環境学習で小学生の子どもたちが「マイツリー」として名札をつけて観察を続けていたモッコクの木が突然、根元から伐採された。公園の管理をしている公園協会に協力してもらい、環境学習エリアとして公園利用者に周知する看板までつけていたにもかかわらず、伐採の情報提供も確認もなかった。しかも、伐採された木は石垣には影響のない場所にあった。年輪調査で樹齢154年、幾多の風雪に耐え明石城址とともに歴史を刻んできた史跡に匹敵する大事な樹木だった。

この前年にも別の小学校で同じようなことがあり、これも石垣には影響のない広場の樹木だった。一連の環境学習は県が環境体験事業として全公立小学校の3年生で実施するように事業化していたもので、県立公園は当然支援するべき立場にあった。環境教育コーディネーターとして学校と公園協会や専門家をつなぐ役割を担っていた丸谷氏は、2回も同じことが繰り返されたことを黙っているわけにいかなくなり、公園協会に説明を求めたことが全ての始まりだった。

協会の担当者は驚いた様子で県の担当課と直接話をして欲しいとしたので、県の緑地公園課の副課長から説明を受けたが、石垣保全の目的だと一点張りで、過剰伐採のプロセスを聴いても公文書はない、情報公開請求をしないと教えられないという返答のため、個人で解決できないと察した。

この頃、絶滅危惧種の生育を損なう伐採もあり、明石公園をフィールドに活動している複数の団体からも「何とかしなければ」との声が上がっていた。市民からも「伐採の度が超えている」など多くの声が聴かれるようになっていた。

            (以上、一部抽出抜粋)

こうした中で急ぎ、明石公園で活動、調査、研究している団体や市民が集まって「明石公園の自然を次世代につなぐ会」を立ち上げ、知事に要望書を提出することになりました。

ここからの動きは速かった。11月18日には県に「伐採を中止し、明石公園の生態系を調査、研究、活動している県民の意見を聴き、伐採計画を見直す」ことと「明石公園全体の整備計画について、自然環境を守ることで観光資源になり、県民の健康増進に寄与することなどSDGsを基軸とした新しい発想で今ある自然を生かした活用方法」を求めた知事宛の要望書を提出しました。

しかし、伐採が止まる気配がないことから、丸谷市議は12月市議会で「伐採計画見直しのために市が動くべきだ」と質問、泉房穂市長から「明石公園は市民にとって大変重要な憩いの場所」「生態系とのバランスの中でどうするかは、大変重要なテーマ」「年明けに知事と協議する」と答弁がありました。つなぐ会は年明け1月末に「伐採計画の見直しを県に働きかける」ように求めた要望書を市長に提出するとともに、若い世代や学生が中心となった「明石公園の緑を考える会」を立ち上げて緊急オンラインフォーラム(2月5日)を開催し、泉市長も出演しました。

同時に始めたオンライン署名は3週間で2万857人の署名が集まり、同22日には要望書と署名を知事宛に提出しました。要望書は秘書課長に手渡したが、同行した赤ちゃんを抱いた母親や学生たちは県議会の全ての会派を回り支援を訴えました。こうした行動はマスコミにも大きく取り上げられ、伐採計画の中断に大きく貢献しました。

また、自然保護団体として知名度の高い日本野鳥の会ひょうごも伐採計画の中止を求める要望書を提出し、4月から野鳥の生態系への影響を検証するため月2回の野鳥調査を始めました。

このような動きが相まって市民や県民の関心も高まり、マスコミが取り上げる機会も増えて、県内だけでなく全国的にも注目されるようになりました。

(2)議会での訴え、注目市長の表立った行動と市民との“二人三脚”

伐採中止へのもう一つのインパクトは、地元市議会での訴えに対して折から議会との対立で注目を浴びていた泉市長が市民の訴えに呼応して精力的に行動し、SNSを通じて発信したことでした。同市長は2021年8月議会での飲食店地域サポート券の支給をめぐって議会多数派との対立が顕在化して以来、旧優性保護法の被災者救済条例、住民投票条例、決算認定の否決に加えて工場緑地規制緩和条例をめぐる議員提案条例の先行可決と再議申し立て、知事への議決取り消し請求など連続して議会と対立する応酬が続いていました。この間、同市長が始めたSNSによる発信攻勢もあって、何かにつけて世間の注目の的になっていました。その市長が、県の過剰伐採について市民の行動を支持し一緒に県庁に乗り込むなどの行動を見せたことから、メディアの関心を一層募ったことは間違いありません。

2021年7月の知事選で就任した斎藤知事とは、泉市長の再三にわたる面談申し入れにもかかわらず実現せず、やっと実現した2022年4月11日の会談で明石公園の伐採中断が正式に確認されるなどの“見せ場”までつくりました。

(3)明石公園が持つ訴求力、視覚的に衝撃を与えた過剰伐採と“切り株公園”

数ある兵庫県立公園の中でも、明石公園はいわば「別格」とも言える訴求力を持っていました。

兵庫県立都市公園の大半は戦後に都市公園として整備されてきた公園ですが、明石公園は明石城の中堀(※注)の内側が明治初頭の廃城令を経て幾多の変遷を伴いながら、1918年に県立公園になった城跡公園でもあります。明石市が市制を施行した前年のことで、戦時中は空襲で避難していた市民多数が爆撃で戦災死するなど、市民・県民にとっても特別の思い入れがある公園でした。

(※注:現在の明石公園の東西と南周りにある堀は、通称「内堀」とされているが、元々の明石城内には現在の野球場や中央芝生広場辺りにあった御殿周りに「内堀」があったから、現在の公園外周の堀は「中堀」とされていた。国道2号や桜町辺りにあった「外堀」は明治早々に埋め立てられた)

城郭としては400年の歴史を伝える壮大な石垣は明石公園のシンボルの一つですが、国の史跡に指定されたのは20年前の2004年と比較的新しい出来事です。戦後は運動施設が整備されましたが、54.8haの公園区域は明石駅と中心市街地に隣接した立地条件ながら、戦後豊かな緑に包まれ植生が発達し、野草や樹木は600種以上にのぼり、日本の野鳥の11%に相当する66種以上が生息、希少種の昆虫も30種以上が生息する「奇跡のような場所」とされる自然の宝庫でもあります。

こうした自然環境に包まれた国指定の史跡もあって、数多くの運動公園に通う人などで過去最盛期には年間460万人もの入込数があり、最近でも300数十万人を数える。立地条件からして、県内はもちろん遠くから訪れる人が多い公園でもあります。

そうした公園が一転して過剰伐採により緑が切り払われて「切り株公園」と化した衝撃は大きかったようです。神戸新聞が2022年2月22日の1面トップで報道した<「切り株だらけの明石公園、過剰な伐採で子どもが名付けた木も、兵庫県が「眺望妨げる」>の記事は、添えられた伐採前と伐採後の写真が強いインパクトを与えました。

また、同じころ東京の神宮の森が再開発計画で大量伐採される問題など類似した公園の樹木伐採が全国各地で表面化し、大きな反対運動が広がったことも、明石公園問題をクローズアップする背景となりました。

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