明石公園はどうあるべきか?地元市や市民の公園への関わり方に変化が芽生える

今回の一連の経過の中で大きくクローズアップされたのは、そもそも「明石公園とはどのような公園なのか」「市民や利用者、地元自治体の関わりはどうあるべきか」ということが、あらためて問われたことでした。

正式に県立公園になってから百年余。明石公園は県が管理する公園として長年にわたって県の公園事務所が管理運営し、指定管理者制度が導入されて以降も県の“外郭団体”である兵庫県園芸公園協会が管理し、県の公園緑地課が管理運営する仕組みが続き、他の県立公園にあるような地元自治体や公園利用団体等が関わる仕組みもありませんでした。

明石公園が持つ「3つの要素」のバランスをどうとるか?

そんな中で上記の1および2で見てきたように、少なくとも20年前に国史跡に指定されて以降は「お城と石垣」の歴史的価値を保全することに熱心になり、戦後整備されてきた運動施設はともかく築城以来守られてきた「豊かな自然環境」の保全への関心は重視されてこなかった経緯がみられます。過剰伐採問題が表面化する中で、検討会やシンポジウムにおいても明石公園の自然についての議論が進み、あらためて明石公園が持つ「豊かな自然環境」の価値を見直さざるを得なくなったと言えます。

明石公園つなぐ会のメンバーは、2022年4月3日に開催した明石公園の未来を考えるシンポジウムで、「豊かな自然環境」をはじめ「お城と石垣の歴史的価値を持つ史跡公園」「陸上競技場や野球場をはじめとしたスポーツ施設」という明石公園が有する「3つの要素」をバランスよく実現していくことの重要性を具体的に提示しました。

あり方検討会の明石公園部会の議論でも、過剰伐採に至る経過の中でこうした視点が希薄だったことも明らかになり、市民や利用者が意見を述べる「公開ヒアリング」や「ワークショップ」でも、この3つの立場を代表するそれぞれの市民から、多彩な問題提起が行われました。市民も関わる公開の場で、こうした議論が行われたのは、明石公園百年余の歴史の中でおそらく初めてのことだったと言えます。

明石公園に対する明石市の関わり方に転機をもたらせるか?

今回の一連の経過の中で、大きな変化を見せたのは地元自治体の明石市の明石公園への対応姿勢です。

明石公園は明石港とともに、明石駅前の中心市街地に接して南北にあるランドマークとして大きな存在感のある公共都市施設です。にもかかわらず、いずれも兵庫県管理の施設であることから、これまでは「あれは県管理の施設」として明石市はアンタッチャブルあるいは消極的な姿勢を通してきました。

明石公園について明石市は、戦後直後の財政難打開策として競輪場の設置を求め開催都市として関わったが、公営ギャンブル廃止を唱えた阪本勝知事の決断で1961年競輪場は廃止されました。その後、市立文化会館の建設地として公園内の東堀やバレーボールコート、東広場、競輪場跡などを候補地として利用を打診したことはあったが、その都度文化財保全の観点等から県に拒否されてきました。その後1970年代に入って競輪場跡に計画された県立図書館に併せて、市立図書館と中央公民館の併設が実現し1974年10月開館したのが、事実上関わりの最後でした。

明石港についても、東外港建設時から続いていた砂利揚場の二見人口島への移転について県は明石市に地元との調整を求めていたが、移転に伴う地元対応や跡地の活用計画についても「県の管理施設」を口実に積極的に関わろうとしてきませんでした。

しかし、今回の過剰伐採問題について泉市長が市民の訴えに応じて積極的に関わろうとし、一時は「県立公園ではなく市立公園」化を求めるような発言も繰り返しました。さすがに「市立公園への移管」については知事が全面否定したことで沙汰闇になりましたが、明石公園部会では積極的に市の立場を主張し、庁内に担当プロジェクトチームも立ち上げて市が関与する姿勢を強く推し出しました。昨年5月から引き継いだ丸谷市長もこの姿勢を踏襲して、今後の明石公園の管理運営に地元市としても積極的に関わる姿勢を明確にしています。

明石公園部会で構想してきた明石公園の今後の管理運営の仕組みでも、一般の市民や公園利用者・団体とともに地元自治体も深く関与する方向を打ち出しており、今後は県立公園であっても地元自治体が深く関与することになる見通しになりました。

明石市は自治基本条例や市民参画条例で「市民自治の市政運営」を明確にしており、明石公園に関わる市民や市民からの声に対して、今後とも明石市が深く関わって公園の管理運営に影響力を及ぼすことになる道筋が敷かれたと言えます。

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