高田宏臣『土中環境』のサブタイトルは「忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技」とあるが、本書を読み通した私は「〈通気浸透水脈〉の発見」または「土中の〈空気と水〉に学ぶ」としたい。なぜなら……。
都市化が進んだまちであっても社寺が誇っている「鎮守の杜(もり)」は、社寺林とも呼ばれる森をかろうじて維持している。そこに足を踏み入れ、なるほどと思い、その深い緑に想いを寄せることはこれまでもしばしばあった。しかし、だ。大地の苔むす歳月に想いを馳せることはあっても、その地下/土中の営み、本書で解き明かされるようないのちの営みに気づくことは、まったくなかった。"忘れられた共生"とあるが、その共生を、そもそもインプットしたことがなかった。近代技術・重機がなかった古(いにしえ)の人々の知恵/技に頭が下がる。
その知恵とは、直接には見えないが、土中の、〈空気と水〉の恩恵を承知した上で、その共存/共生を図った、ということだ。このことを著者高田は〈通気浸透水脈〉と表した。「通気浸透水脈とは何か?」を、実例として豊富な写真と、想像たくましいイラストをてがかりに本書で学ぶことができる。
森林の地上に積もった落ち葉をめくっていくと真っ白な菌糸群に出会う。菌類や土壌生物が落ち葉や動物の死骸を土に戻していくことは承知していた。腐葉土があるのは深くても数十センチだが、菌糸はさらに地中深くまで浸透しているという。生物界を大別すると動物と植物とそして菌類に分けられる。菌類は有酸素の世界つまり空気が供給される限り植物界や動物界で生命の連鎖を維持する要となる。土中において、〈空気と水〉を遮断することにならなければ、菌類/菌糸のネットワークは樹木根に栄養を供給し続ける。これが通気浸透水脈だ。
見方を変えれば、地上において私たちが恩恵を受けている森林は、土中の菌糸ネットワークによって支えられているということだ。
本書では熊野古道(和歌山県)などの石畳が事例としてとりあげられている。深山に通じる山道や里の道で歴史を乗り越えた石畳にしばしば出会う。丸みをおびた平らな石の上を歩くときの気持ちよさ……。敷き詰められているだけの石畳ではなかった。周囲の樹木根が石の下に入り込み、細かい根が石と"一体化"しているという。石と土の境は水道(みずみち)になる。根が入り込むだけでなく菌糸ネットワークが張られている。新設される石畳の施工にあたっては周囲に樹木を配置しておく。やがて樹木(樹木根)と石畳は一体化し、大雨で流されない。このことを学んだ故に、次に石畳を歩くとき、周囲の景色と自分は一体化することになるだろう。
そうした石畳の脇あるいは山裾沿いに掘られている溝(みぞ)は排水のために設置されているものだと思っていた。このことも認識不足。草や苔で覆われている土塁は〈空気と水〉に配慮し、おだやかに傾斜を守っていることになる。一方、U字溝やコンクリートで固められている場合は水を流すだけの目的だ。〈空気と水〉はコンクリートで遮断されることになる。人工構造物は土中環境を不安定にする。雨量が閾値に達したとき、コンクリートもろとも施工箇所の崩壊は免れない。
棘(トゲ)が刺さったときは、しっかり血を絞り出し、バイ菌を追い出す。傷口が針穴のように小さいとき、時間経過とともに化膿してくることがある。嫌気性菌が悪さをするからだ。排水孔など、水分が多くしかし空気が遮断されると、ここでも嫌気性菌が活性化し腐敗臭を放つ。その一方で、パンのネタをつくるとき、味噌をしこむとき、醤油や酒の醸造では好気性菌が活躍する。嫌気性菌が起こす作用を腐敗と言い、好気性菌の場合は醗酵(はっこう)と言う。本書136ページから154ページまでは「発酵」の話だ。醗酵生成物を生業としている酒蔵元「寺田本家」(千葉県)が創業300年を超えて今日あるのは隣接するクスノキの根元に湧き出る水(井戸)のおかげという。清水(せいすい)が湧き続けているのは、後背の森林を支えている土中環境の恩恵ということだ。人為の生業が〈通気浸透水脈〉を守り続けているという証でもある。
土中環境、即ち、地下における〈空気と水〉の循環はまさに縁の下の力持ちだ。とはいえ、近年多発する土砂災害の影響を受け、崩壊現場はコンクリートなど重量人工構造物で固められる。災害復旧の名の下に重機が地形を削り〈空気と水〉を押さえ込む。行き場を失った〈空気と水〉は、それでも活路を見出そうとする。結果、修復されていない箇所を崩壊させることにつながる。何かが間違っている。それが副題「忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技」として本書が訴えていることである。
天空を扇いで宇宙の彼方に想いを馳せ、地上の緑、海原の拡がりに心洗われる。加えて、静謐(せいひつ)でダイナミズムな世界が足もとにあったことを知ったのだ。
〈追記〉
明石城石垣景観に邪魔だということで大量の樹木伐採が行われた。樹木根と菌糸ネットワークが石垣と一体化してサスティナブル(永続的)な土中環境を構成していたであろうことは容易に想像できる。しかし、樹木たちは地上から払われ姿を消した。それらの根は急速に枯れ死することになる。菌糸ネットワークも消滅する。〈空気と水〉も失せる。大雨が降れば、失せた空隙に粘土状の微粒子が入り込み窒息環境と化すだろう。重力だけの石垣が存在することになる。果たして永続するだろうか。再生のためには新たに樹木を育成するなど、石垣の崩壊を引き起こさない対策が必要であろうし、それは急がれる。
※ 高田宏臣『土中環境』建築資料研究社 2020年発行 ISBN978-4-86358-700-7