運動の始まり

生き物たちの宝庫・かけがえのない場所……

昼と夜それぞれにドラマがあり、里山を代表するゴマダラチョウなど多くの昆虫たちが集まる「かけがえのない樹」がありました……(2021年夏)

生物・環境の多様性に恵まれた明石公園は、さまざまな生き物たちの宝庫でした……… 

すばらしい自然観察・教育の場のフィールド……

明石公園は、多くの学校・園が、環境体験学習のフィールドとして利用してきました。身近な自然を通して、自然の不思議や心震わす感動を体験し、いのちの大切さや持続可能な地球のために自分たちに何ができるか考える大切な教育の場でした……

どんぐりひろいをはじめ、幼児期の五感を育てる大切な自然体験の場としても多く利用されてきました……

子どもたちは、1年を通じて、樹を大切にし、観察していました……

自然観察会では、子どもだけでなく、おとなも目を輝かせて昆虫を観察しました……

明石公園には、92種類の希少な生き物が生息・生育していました…… 日本で確認されている野鳥の10分の1にあたる66種や、絶滅危惧種の昆虫約30種が確認される貴重な自然でした…… 明石市が策定した生物多様性あかし戦略においては、「まとまりのある自然が残る地域拠点」「貴重な自然が残る明石市を代表する公園」として選定されています…… 

失われていく自然

ところが、このかけがえのない自然の多くが失われてしまいました。

小学校の環境学習で1年を通して観察していたモッコクとムクノキも伐採されてしまいました。公園側に協力をお願いしていた樹で、いずれも石垣には影響のない場所にありました。

また、どんぐり拾いをしていた木も伐採されてしまいました。

2021年10月の自然観察会では、突然のことに子どもは涙し、大人は唖然となりました。

2021年夏に、時間によってさまざまなドラマを見せてくれていた木も、伐採されてしまいました。

「木の根が石垣に悪影響」って本当ですか?

4年間で、1688本もの樹木が伐採されました。

その理由の一つとしているのは、石垣の保全です。「木の根が石垣に悪影響」というのは、本当でしょうか?

兵庫県園芸・公園協会のFacebookから転載

確かに、コンクリートで固めた石垣では、遮断さた空気と水求めて、木の根が石垣を動かすことがあります。コンクリートで強度を確保する現代土木では、構造物の寿命は50年~100年。明石城の石垣のように400年間も維持することはできません。

一方、日本には、神社仏閣など、1000年以上もの風雪に耐えて、堂々としている建築物・構造物がたくさんあります。その素晴らしい日本の伝統的技術・造作とはどのようなものでしょうか?

自然に対する深い理解に基づき、水と空気の循環を考えて、環境全体のなかで、構造物が数百年にわたって安定するように考えられていました。

樹は石垣を守ってくれていた

日本全国で、石垣と樹が見事に一体化した例を見ることができます。明石公園の石垣もそうでした。
熊本地震で崩れなかった石垣には、樹がありました。

今、力ずくで強度を確保しようという現代土木による「補修」、樹木の伐採、周辺をコンクリートやアスファルトで固めるなどの環境破壊によって、絶妙のバランスで成り立っていたこれら全国の史跡・伝統的構造物が危機にあります。

明石公園では、「石垣周辺の樹木が石垣に悪影響を与えている」として、1000本以上伐採されました。しかし、会が調査したかぎり、樹木が石垣を痛めている事例はありませんでした。下の事例は、「樹木が石垣に悪影響を及ぼしている」どころか、逆に、樹木が石を動かすことなく、石垣と一体化して、石垣を強化していたことを示しています。

一般に、樹木の細根には、網のように土壌層をつなぎ止め、基岩層の亀裂にまで入り込み、すべり面(土壌層と基岩層の境)を固定する機能があります。これが、地盤の浸食や崩壊を防ぐ役割を果たしています。山で、樹木の根が石を押して、崖崩れがおこったというような話は聞いたことがありません。逆に、山で、樹木を伐採したことが、大雨時に土石流や崖崩れなどの災害につながる事例が全国で発生しています。

石垣を守ってくれていた樹木を伐採してしまった明石公園は大丈夫でしょうか?
樹の根が腐って石垣をつなぎ止める力がなくなった将来、大雨や地震などの自然災害に耐えられるのでしょうか?

詳細は、「樹と石垣は、じつは仲良し 樹が石垣を守っている」、「過剰な樹木伐採が石垣崩壊を招く危険を指摘 「つなぐ会」が専門家を招いて現地調査」をご覧下さい。

県は、なぜ樹木の伐採にこだわるのでしょうか?

県の伐採計画は止まる気配はありません。
陸上競技場周辺の樹木の伐採、石垣の周辺に残っている200本の樹木の伐採、子どもの村周辺の樹木の伐採……

なぜ、石垣と無関係な樹木まで伐採するのでしょうか?

全国各地の史跡(姫路城も含む)について調べた限りでは、石垣から2m以内の樹木を伐採するという基準はみられますが、明石公園のような「石垣から5mの樹木をすべて伐採」という事例は見つかっていません。2m以内であれば、これほど多くの樹が切られることはありませんでした。なぜ明石公園では5mなのでしょうか?

石垣の景観の確保のためなら、伐採ではなく剪定で済ませることもできたはずです。ところが、伐採を主導した「有識者」は、

明石公園はお城でもあるため、樹木はどんどん切って頂いたらよい。江戸時代には城内に植栽はしておらず、城内にはクロマツ程度しかなかった。……樹木を除伐した当初は苦情等が出るが、除伐前の景観は時間が経てば忘れてしまうため、時間が経てば苦情はなくなる。無理に枝打ちを行うと……苦情が殺到するので……除伐した方が良い。

「明石公園ひぐらし池除伐計画について(兵庫県公園緑地課と有識者協議メモ)令和2年5月11日」

と協議で発言しています。

明石城周辺は、多様な植生のある里山だったことがわかっています。「江戸時代には、……城内にはクロマツ程度しかなかった」という一人の「有識者」の誤った認識がもとになり、樹木の大量伐採が推し進められました。

井戸前知事の「明確な指示」

井戸前知事の「明確な指示」もありました。泉市長は、市議会で以下のように答弁しています。

井戸知事を明石の再開発ビルにお迎えした時にですね、ちょうど明石市制百周年、築城四百年の記念の前でありました。その時に再開発ビルの窓から明石城の方をご案内申し上げた時に、井戸知事が明確にですね、横に居るものに全部切れと、すごい指示をなさいまして、私、びっくりしたのをよく覚えております。すごいこと言うなと思って、お城の壁が全部見えるように全部木を切れと、極めてクリアに強い口調で明確な指示を出されていたので、よく覚えておりまして、その後、樹木の伐採が順々に始まっていったと私は認識しており……

2021年12月8日の明石市議会における丸谷議員に対する泉明石市長の答弁

また、情報公開で入手した公文書には、

オープニング式典時に知事から指示があった東西石垣の追加除伐・伐採箇所について、現地確認を行いながら……3者協議を行った。

令和元年6月24日付け 「現地協議(復命)」

等、井戸前知事が事細かに伐採の指示を出していたことを示す証拠があります。

下の公文書からは、県が正面掘等の土塁の樹木を「除伐」するよう迫るのに対して、現場が抵抗している様子がリアルに伝わってきます。

公文書 「R3年度 明石公園整備に関する園芸・公園協会、事務所協議」(令和3年5月18日付)から、見出しとページがまたがる部分を編集。「中略」と「次ページ」は、編集者が追記。

明石公園の樹木の伐採は、井戸前知事のトップダウンで行われてきたことがうかがえます。

伐採計画は、井戸前知事の任期中に決定されました。県は、これに関する審議会の議事録や答申を公開していません。審議会の審議も、石垣から5mの木を切るという基準も、井戸前知事の「明確な指示」に従うために後付けされた可能性があります。県は、議事録と答申を公開して、疑問に答え、疑念を晴らしてください。

なお、上の公文書にある箱堀、東側堀、正面掘の土塁上の樹木の伐採と、重機を入れるための藤見池の埋め立てについては、「土塁上の樹木は伐採しない。藤見池は埋め立てない」と、県が本会に明言しているので、守っていただけるか、今後も注視していきたいと思います。

明石公園の自然を守り、取り戻しましょう!

しかし、まだ、希望はあります。

城跡の北側には、豊かな森が残っています。

そして、明石公園の自然を守り、取り戻し、次の世代の子どもたち、まだ見ぬ未来の子どもたちにつなごうという市民の運動が始まっています。明石市の泉市長も頑張ってくれています

「明石公園の自然を次世代につなぐ会」の明石市長への申し入れ(1月29日)

時間はかかるかもしれませんが、失われた自然を取り戻すことは可能です。

これ以上の樹木伐採をやめ、明石公園の自然と生態系を回復する努力を重ねることによってこそ、明石城跡の貴重な史跡を、今後数百年存続させることが可能になります。
史跡と樹木・自然を一体として守ることが、持続可能で住みやすい社会をつくることにつながります。

さぁ、ご一緒に、明石公園の未来をつくっていきましょう!

皆さんへのお願い

ホームページのコンテンツについて

ホームページに掲載している写真等の無断転載を禁止します。

とりわけ、人物が写っている写真については、「つなぐ会」のホームページのみに使用するという条件で、了解を得ているものもあります。くれぐれも無断転載をしないようにお願いします。

タイトルとURLをコピーしました